葛藤と変化
Assalamalaikum アッサラームアライクム
最近 私に起きている変化について今回は書きたいと思います。
ここ1ヶ月ほど、不満に思ったり、理不尽に感じる出来事が起きた時に自分がその出来事をなるべくポジティブに捉えるようになっているな。と感じています。
例えば
毎日疲れて帰ってきて、何もせずただ寝るだけの日々が続くと、だんだん余裕がなくなって、いつもなら流せるお客さんの横柄な態度にイライラしてしまう事があります。以前だったら、イライラして嫌な気分になって、モヤモヤしていましたが、今は自然と「あ、多分これは神様から与えられた試練だな」と思うようになったんです。
びっくりですよ。
神さまからの試練だと まさか自分が思うようになる日がくるなんて思ってもみなかったので。
ついこないだも
疲れが溜まっていてちゃんとした食事も食べない日々が続いていたので、たまには白米でも食べようと1合だけ炊いた日がありました。
私は みんなの分のご飯を朝炊いてしまったら、みんなが食べる頃にはご飯が硬くなってしまうと思って、意図的に一合だけ炊きましたが
母さんからすると
勿体無いからみんなの分の炊いて欲しかったようで、私が出かけるギリギリまで 小言を言っていました。きっとお母さんも疲れがピークだったのだと思います。
お母さんの言うことを間に受けて、イライラして 何か言葉を発しても何も良いことはないと思い、だったら黙ってた方がマシだなと思って、家を出るギリギリまでお母さんの小言をスルー。
でもお母さんが言ってくれた「行ってらっしゃい。気をつけてね」までスルーしてしまったんです。
バスの中で猛烈に反省しました。
なんで 「お母さんも気をつけて頑張ってね。」の一言が言えないんだ。情けない。こんな態度を取ってしまうなんて自分は本当にまだまだ未熟だ。そう思いました。もしこれが 神様が私に与えてくれたトレーニング期間であるとすれば、私の取った行動は間違いなくバツ。良い人になりたいと思っているくせに、お母さんへの思いやりに欠けた行動を取ってしまったと反省しました。
なんでこんな目に!
なんで私だけ!
こんなネガティブな感情を抱いた時、自分を守るために
「今はto be better personになるためのトレーニング期間なんだ。だから我慢しよう。少しの辛抱だ。」と自然と思うようになったのが大きな変化です。
きっとこれはピピの影響が大きいと思います。バイトで嫌なことがあってその話をピピと話すと、必ず「我慢してね。これはtemporary だよ。」と言います。何か不満に思うことがあってその話を共有したときも必ずピピは”sabar”(インドネシア語で 我慢 という意味) と言って私を諭してくれます。
sabarと言われた時は「もう十分我慢してるよ!」なんて思う未熟な私ですが、少し時間が経って冷静になると「確かにずっと続くわけではないし、我慢すればきっと良いことがある。これは人間性を良くするためのトレーニングだ」と思えます。自分に言い聞かせて落ち着かせているんでしょうね。
ピピも 常日頃からポジティブ思考を心がけているようで、何か不満に思うことが起きた時には私と同じく 「神様がこの道を与えてくれたんだから、今は我慢しよう。ワガママになってはいけない。this is the best way that allah(the god) gave to me」と思うように心がけているそうです。
そんなピピと関わっているから
私も自然と同じような考えを持つようになったのかもしれないですよね。でも私がくじけそうになったり、嫌な人になりかけている時、こうしていつも諭してくれて、ポジティブに考えられるようにしてくれる人がいることは本当に有難い事です。人生 前に進んでいくしかないですから! 私が困った時や辛い時、ピピからいつも良い影響を与えてもらって感謝しています。
私はまだイスラーム教に改宗してないのでムスリム ではありません。
でも、「神様が与えてくれた試練だ」となるべくポジティブに物事を捉えて、自分の未熟さを認め、直す努力をするようになりました。
それは、better personになりたいからです。
歳をとって何が残るかって人間性ですよね。
いくら綺麗に着飾っても、性格に問題アリじゃ愛される人になれません。
私が高校生の時から
いつも自分に言い聞かせている考え方は
外見の美しさはいつか無くなりますが
内面の美しさは歳をとっても残るということ。
いくら高そうなスーツを着ていても店員に横柄な態度を取るサラリーマンの方にはこれっぽっちも魅力を感じません。歳をとっても 偉そうな態度を取る高齢の方にも全く魅力を感じません。結局、性格が大切ということを日々(嫌という程)実感しています。
この考えを持ち続けて今までさまざまな困難を乗り越えてきたので、ピピの言うことやその背景にあるイスラーム の教えは割とすんなり私も受け入れることが出来たのかもしれません。むしろmake senceな考え方でした。
話が少し逸れますが、
以前 “改宗したい”と両親に話した時
「なんで今イスラーム 教徒になる必要があるの?良いと思った教えは自分の生活に取り入れればいいでしょう?お祈りだってしたいならすれば良い。」とお父さんに聞かれました。
これは私もずーっと抱いていた気持ちなのでお父さんの言っている意味が痛いほど分かると同時に、うまく答えられない自分がいました。私もまだ答えが見つかっていないからです。
なぜムスリム になるのか?
なぜ今なのか?
私も未だに日々悶々と考えたり葛藤しています。答えも見つかっていません。
ただ一つ言えることは、 正式にムスリムじゃなくても、イスラーム の教えを自分の生活に取り入れることが出来るということです。現に、イスラームの教えに今は助けられていることが多いです。
両親に改宗したいと思っている旨を伝えた時は正直ムスリムになる事ばかりにこだわっていたように思います。でも今はムスリムになるために、そして良い人になる練習期間だと思って、日々生活しています。
豚肉を食べず、お酒も飲まず、毎日お祈りをして...ムスリム としての義務を果たすことも大切かもしれませんが
Somehow, I cannot be Muslim yet coz my parents said they need more time to know about Islam.
今ムスリム になれないのであれば今の自分に出来ることとして、最もコアな部分である自分磨きをする事に専念しよう!と日々思っているし、そのための行動・努力をしています。
私にも分かりませんが、あの時、お母さんとお父さんが ムスリムになる事に一旦ストップをかけてくれたのもきっと神様が「まずは 未熟な部分を直しなさい。」というメッセージだと考えるようになり、ムスリム にまだなれない現実を素直に受け止めることができるようになりました。
今ムスリム になるのと
後でムスリム になるのは何が違うの?
なんで反対なの?
ネガティブな考えを持ち始めると止まりません。だったらポジティブに考えた方が得ですよね。自分も楽になります。
自分が望むものを手に入れるには
努力が必要です。努力と我慢無しには何も得られないと言う事ですよね。
きっと、私が望むピピと結婚・生活や
日本語教師として働く夢も
努力と苦労なしには得られない。
私には宗教がまだ良く分かりません。
でも
思うように事が進まない時には
神様から与えられたミッションだと思うことで、目の前の壁を乗り越えるための力を持って物事をポジティブに捉え、前に進めるようにはなってきています。
イスラーム教、キリスト教、仏教、ヒンドゥ教、無宗教...とか 形にこだわる前に
自分の人間性を高めることに重きを置いていきたいです。
長くなりましたが
今回はここまで。
Assalamalaikum