歩み寄る方法
Assalamalaikum アッサラームアライクム
今日は ブログのタイトルでもある
「歩み寄り」について私の個人的なお話をシェアしたいと思います。
今までのブログでは
いかにも私がイスラームに対する理解があるように思えたかもしれませんが、
それは私が共感したイスラームの考え方を重点的に紹介していただけで、まだまだ分からない部分、理解できない価値観などは沢山あります。
例えば
私は 同性カップルに対して賛成ですが
イスラームで同性愛は禁じられていますし、ムスリムとこの話をすると永遠に着地地点が見えないので、この話はしないと決めています。(以前ムスリム の友達と議論になった時には 疲労困憊でした)
個人的には
誰かを愛する気持ちに正しいも正しくないもないし、性別関係なく愛する人を見つけられたこと自体、喜ぶべきことだと思いますが
ムスリムの大多数の方は
子供を授かることができない=イスラームの後継者が少なくなるという考えがあるようで、同性愛には反対しています。
もちろん、パートナーであるピピが信じるもの・思考の根本的にあるイスラームへの理解を私が持ち合わせていれば良いのですが、
私もまだまだ未熟者なので
理解しようと努めていても 時々
「なんでいつも私がイスラームの教えや考え方に沿うの?あまりに一方的じゃない?」
と思うんです。
汚い感情ですよね、でもこんな感情を持つことだって正直あります。
でも凄く嫌なんです。自分が1ミリでもそういうネガティブな感情を抱いてしまうことが。
もともと育った環境の違う2人が
歩み寄ることを忘れたら上手くいくはずなんてない!
そう思うと、もっとピピの言葉の意味や行動を理解するために 私自身がイスラームに改宗するという選択肢が浮上してきたわけです。
というのも
イスラームの教えは
人生の生き方そのものなので
本や動画をみて頭で理解しようとしても
なかなか理解しきれないんです。
実際ムスリム として生きてみないと分からない事って沢山あると思うし、信じるものって1日で自分の物として受け入れる事はまず不可能で、時間をかけて理解していくものだと思います。
マレーシアに留学をして初めてイスラーム という宗教を知り、日本に帰ってからもそこまで関わりがなかった1年ほど前は、知識もなく関心も薄かったので、相手の言っていることが理解できなかった。マレーシアにいた時はそこまでイスラームを感じて生活していなかったんですよね。
だからご飯を手で食べる経験をしたり、断食月にはムスリム のクラスメイトに最低限気を遣って昼食を摂ったりはしていましたが、そこまで身近なものでもなかった。
↑アラビックレストランに連れて行ってもらった時。みんな手で食べることに集中しすぎて会話をする余裕がなかった
今までイスラームへの改宗を強制されたことがないので、イスラーム は彼らのものであり、私のものではないと心のどこかで思っていました。
でも何かのご縁で日本でムスリムの人とより関わるようになり、大学でもイスラームの授業を受けてみたりして、 少しずつ身近なものになってきました。Alhamdulilah
大学の図書館で様々な本を読んだり
自分でも本を買って読んだりして
大学4年生の時なんて日本人の友達よりムスリムの友達と関わる方が断然多くなっていたかも。
彼らと一緒に時間を過ごす中で、彼らの態度や姿勢から イスラームとは何かを学ぶことが多く、私がなぜ?と疑問に思った時には イスラームの教えを説明してもらう。
それが一番気軽で分かりやすい勉強方法でした。
とはいえ、
何か問題があってそれについて話している時や
何か思い通りにならないことが起きて、なんでこんな目に遭うのか...と嘆きたくなる時に
「それはきっと神様が与えてくれた試練なんだよ」とか
「たしかにその決断を下したのは自分だけど、最終的に決めるのは僕たち人間じゃなくて神様だから」なんて言われた時には
「いやいや、何を言ってるの。どうしていくのかを決めるのは他の誰でもない自分でしょ!神様が決めるんじゃなくて、私たち自身の意思でしょ!」とよく反論したものです。
大学でイスラームに関する授業を履修したり
本を読んで理解を深めようとしていても
やっぱり よく分からないんですよね。
神様の存在を感じずに23年間生きてきた私にとって、彼らの言う”神”を感じないんです。根本的な概念が分からない。
もっと言えば、「彼らに神様はいるのかもしれないけど、私に神様はいない!居るのかもしれないけど、その存在を感じない!」とよく嘆いていました。
理解しようとしても、なかなか掴めない”神"の存在。当時は本当にモヤモヤする日々で 私はきっと一生神の存在を感じることはないんだろうな〜なんて思っていました。
そんな私が
実は、両親にムスリム になっても良いか?と聞いたことがあります。
ムスリム になろうと決意した背景には長い長い葛藤と過程があるので、次のブログで またシェアしたいと思います。
それではassalamalaikum