歩み寄り

日本🇯🇵+インドネシア🇮🇩=??

豆知識

 

Assalamalaikum アッサラームアライクム

 

朝の5時過ぎにおばあちゃんから電話がかかってきて、フキを煮るための大きな鍋が無くなったとのこと。(体調が少し良くなったので、楽しみにしてたフキを料理しようと思ったら鍋がなくてソワソワしちゃったらしい...)

 

結局、新しい鍋を買いに行ったらしいのですが、先程顔を出しにばーちゃん家に行き、料理をするために開けた棚にちゃんと鍋はありました。

 

これから先、こんなバタバタが日常茶飯事になるのかと思うと今から心配です。笑

 

でも 何だかんだいって

こうして一緒にご飯を食べられることは幸せ。Alhamdulilah 

 

 

 

そんな今日はイスラームに関する豆知識を一つシェアしたいと思います。

 

以前、私が友達と話していたときに

ムスリム男性が被っているあの帽子って何だろう??」と素朴な疑問が浮上。

 

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↑頭の上にチョコンと乗せるタイプ

 

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↑ぴったりフィットタイプ

 

気になってピピに聞いてみると

“お祈りをするときにきちんと額と鼻が地面に付くように”被るそうです。

 

なので

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このように帽子を被っていても

前髪が出ていると意味がないと言うことです。

 

言われてみれば

みんなモスクに入るときはよくこの帽子を被っていたし、おでこも出ていました。

 

やはり物事にはちゃんと意味があるんですね〜。

 

私も以前 千葉にあるモスクで日本人向けに開催されたセミナーに参加し、礼拝のやり方を教わりました。その時も額と鼻がきちんと地面に付くように教わりました。慣れない体勢だからか、私はお祈りをすると結構頭に血が上ります。

 

お祈りをする際、アラビア語クルアーンの章を口に出して読むのですが、お祈りについてはまた違う記事で紹介したいと思います。inshaallah 

 

 

そして、今週の日曜日は

マレーシア人男性と結婚をされる日本人女性の方の結婚式にピピと参加する予定なので、その結婚式の様子もシェア出来ればと思っています♪

 

それでは

Assalamalaikum 

 

 

日常〜part6〜

 

Assalamalaikum アッサラームアライクム

 

私は今、おばあちゃんの家に泊まっています。

というのもおじが旅行で家を空けるので、その代わりに...

 

私もだいぶ新しい家に慣れてきましたが、

色々なものが最新なので、私もおばあちゃんももう少し時間が必要です。笑

 

お風呂なんてジェット付き!

なんたる贅沢!!(おばあちゃんは使い方が分からなくてまだ一度も使っていないそうです)

猫に小判状態ですね

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事前に母からお泊まりをお願いされていたので、思い切って1日お休みをもらい、夕飯はピピもご招待して家族みんなで食べました。alhamdulilah 

 

おばあちゃんはこの日をとても楽しみにしていたようで、痛む身体を起こして久々の手料理

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嫁入りしてからずっと居酒屋を経営していたので、お料理はおばあちゃんの得意分野です。

でも最近体調が優れなくて自炊はしていなかったので、久々に料理をする姿を見れて私は嬉しかった!

 

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すぐ散らかすおばあちゃんのアシスタントは母が務めました。性格は真反対ですが、いつも仲良しな2人です。ほのぼの

 

 

こうやって私の家族が

ピピを家族の一員として受け入れてくれることは何よりの幸せです。

 

今回もお母さんが 「ピピちゃんもお休みなら一緒にご飯食べようよ!」と言ってくれて

 

おばあちゃんもまたピピに会えることにとても喜び、私の父も「ピピと秋葉原にパソコンでも見に行こうかな...」なんて言っていました。

 

みんな、ピピのことが大好きなのね〜

有難いことです。

 

 

今回はほぼ私個人のお話になりましたが

今日はここまで。

 

Assalamalaikum 

相手への感謝と思いやり

Assalamalaikum アッサラームアライクム

 

突然ですが、みなさんは相手の言っていることが理解できなくてモヤモヤしたりイライラした経験はありますか??

 

友達や家族、恋人と考え方の違いから衝突することは誰もが一度は経験していると思います。

 

ピピと私もその1人です。

普段はどうでも良いことでケラケラ笑っている私達ですが、ちょっとした事をきっかけに喧嘩まではいかなくとも、言い合いになることはたまにあります。

 

そもそもバックグラウンドの違う2人だし、片方には宗教があって、もう片方は無宗教なので 何かについて話している時、噛み合わないこともよくあります。これは本当にもどかしい時間ですが、避けては通れないこと。

 

 

言い合いに発展した時、私はピピの信仰しているイスラーム 教を否定する気は全くないし、ピピが正しいと信じているなら、それで良いと思っています。


でも、やっぱり自分に無い考え方や、自分とは違う考え方を理解するのはとても難しい。相手の考えを否定する気はないけど、私の考えも否定して欲しくはない。

 


ピピが正しいと思うのはA
私が正しいと思うのはB


Aの根本にはイスラームの教えがあるので
それを違う!と否定してしまうとイスラーム 教自体を否定してしまうことになってしまうので
どんなに感情的になっていても、それだけは言わないように心がけています。

 

 


最近よくピピと意見の食い違いが起きますが
イスラーム 教は正しい!」と言われた時には返す言葉がありませんでした。その時は宗教を持っている人が有利なの??とも思いました。

 

その後 少し冷静になってみると


もし私が仏教やキリスト教を信仰していたら、もしかしたら私の考えにあるベースを理解するのはもっと簡単だったかもしれない...と思いました。

 

私の考えの根本に何があるか、私のその考えはどこから得たものなのか、日本人特有の考え方なのかか、それとも私自身の経験から得た考えなのか


分からないし、ありとあらゆる可能性があるから、もしかしたらピピにとっては 理解するのがとても難しいのかもしれません。

 


私の考えの根本にあるのは○○教です!
こう言われれば相手だって


じゃあ○○教について少しリサーチしてみよう!とか自分の信じる宗教とは違うけど、せめて知る努力をしてみよう!


こう思ってくれるかもしれない。
でも私には信仰する特有のものがあるわけでもないから、知るための一歩を踏み出すのが難しいのかもしれない。そんな風に思いました。

 

 


そもそもなぜ私がイスラーム 教について知りたい・学びたいのか

 


それは素敵だと思う考えのコアな部分を知りたいから。そして、大切な人の考えの根本にあるコアなものを知りたいから、知ることで相手の言っていることがより理解できると思うから。


そのために普段から
本を読んだり
ムスリムの友人から学んだり
Youtubeの動画を見たりしています。

 


自分が望んでそうしていたはずなのに
きっと私は心のどこかで 


「なんで私だけイスラーム 教について知ろうとしてるの?なんでピピは私の考えのコアな部分を知ろうとしてくれないの?」と不満を抱いてしまっていました。だからピピと衝突することが増えてしまったのかもしれないです。

 


モヤモヤしている私に高校時代の友達が
「自分では相手に何をしてあげてるかちゃんと分かっているけど、相手が自分のためにしてくれていることって分かりづらいよね。」と教えてくれてハッとしました。

 


自分が知りたくて勉強していたはずなのに、自分が相手への理解を深めたくて、勝手に知ろうとしていたはずなのに...


いつのまにか歩み寄りが一方通行になっている気がして「なんで私だけ?」と思っていました。

 

これは私の未熟な部分であるし、直していくべき点だと反省しています。相手への思いやりと感謝を忘れていた時点でダメですよね。そりゃあ上手くいくことも上手くいかなくなるわけです。

 

 

 


話は少し戻りますが

以前、私のお母さんとおばあちゃんが


「家族とはいえど、所詮他人と他人だから
相手を100%理解するのは難しい。」と教えてくれたことがあります。


2人とも日本人と結婚をしたけど、日本人同士だって理解するのは簡単な事ではないというのだから、育った環境の違う相手のことを理解するのはもっと難しいかもしれない。

 


でも自分が選んだ相手で大切にしたい人なのであれば、歩み寄ることは大切だし 、例え自分の信じるものが正しいと思っていても


相手の信じるもの、正しいと思っているものについて知ることは必要不可欠だと思います。それが出来なければ上手くいかない!!

 


相手の考えを否定をするのではなく
正解を探すのでもなく(そもそも正解はない)
お互いが歩み寄って折り合いをつける。

 


自分の考え方と違うからといって
理解しようとしなければ永遠に解決しないけど
そういう考え方もあるのかと思えば
相手との向き合い方も
相手の考えの捉え方も変わるし


理解できないかもしれないけど
理解する姿勢を見せることの大切さと


なんで自分だけ?なんて思わず
相手が自分のためにしてくれていることへの感謝をちゃんと言葉で伝えていくことの大切さを学びました。

 

簡単ではないですが

それができれば より良い関係性をきっと築けそうです!

 

今日はここまで。

Assalamalaikum 

 

 

 

移動手段

Assalamalaikum アッサラームアライクム

 

最近ピピのお腹がポヨポヨなのと

私も太って体が重いので

早く一緒に散歩ができる日がくればいいな〜と

そんな日を夢見る日々です。

 

 

日本では どこか行くには徒歩か自転車、電車、バスが主流ですが、インドネシアに行った時はどんなに近場にいくにも移動手段はバイク(または車)でした。全然動かないのによく食べるから インドネシアに1カ月済んだらぶくぶく太りそうで怖い。

 

 

私がインドネシア滞在中に歩いたのは、ピピの甥っ子を幼稚園に送る時くらいかな...


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道も狭いし、バイクが常に走っているので、歩きたくても危なくて歩けないのが現状でした。特に夜はNG

 

本当は写真や動画も撮りたかったのですが、iphoneは狙われやすいので気軽に出さない方が良いとのことで、あまり写真がありません...(マレーシア留学中、iphoneを盗まれた経験アリ)

 

 

だからいつもピピは私の運転手

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インドネシアの交通渋滞は有名な話ですが、本当に酷かった。帰宅ラッシュに遭遇したときはもう他のバイクとスレスレだし、道はガタガタだし、乗っているだけの私もどっと疲れたほど。

 

何より驚いたのは

中学生くらいの子供が3人乗りしてたこと!

危ないし、しかも3人乗り!!!!

日本ではまず見かけることのない光景でした。

でもそれが向こうでは当たり前なんですね〜。

ピピも学校へはバイクで通学していたそうです。

 

 

普段日本でバイクに乗ることがないので、私はバイクの後ろに乗っている時が楽しくて楽しくて、よくピピにおねだりをして散歩に連れて行ってもらいましたが、どこに行くにも自分だけでは行けなかったので

 

将来、もしインドネシアに住むことになったら、私はどうなるのか?バイクを運転する事になるのか?

 

とそんな不安もよぎりました。

 

Gojekと呼ばれるバイクタクシーもあるし

Grabでタクシーを利用する事も出来るから

まぁ何とかなりそうですが...

 

 

ちなみに!

日本ではピピも徒歩か自転車を使っています。

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↑ピピの愛車(ギアチェンジが出来る優秀な自転車)

 

日本で自転車に乗っている姿しか知らなかったので、インドネシアでバイクを華麗に乗りこなすピピを見たとき、ピピも生粋のインドネシア人なのだと思いました。

 

 

ピピの運転が安全なのもあって(ピピ母に念押しされて安全運転)

バイク移動にも慣れてきた私は

バイクの後ろでコクコク居眠りする強者...?

 

 

もう一つ面白いなと思ったのはチップ?の文化

 

ある日、スーパーで買い物を終えた時、そこら辺にいる人がプラプラ〜と私達のところに来ました。

 

???な私の横でピピがその人にコインを渡したので、チップ的なものだと察知。

 

こうやって生計を立てている人が居るんだ〜くらいにそのときは受け取ったのですが

 

 

道路の真ん中に立って

勝手に交通整備をしている人があまりに多いことに驚きました。

 

みんな車やバイクで横を通り過ぎるときにチップを渡していたので、これもインドネシアでは普通なのでしょう...

 

インドネシアにいるときは

コインも少し持ち合わせていた方が良いかも?

 

 

以上 インドネシアの移動手段のご紹介でした!

 

 

Assalamalaikum 

 

 

 

葛藤と変化

Assalamalaikum アッサラームアライクム 

 

最近 私に起きている変化について今回は書きたいと思います。

 

ここ1ヶ月ほど、不満に思ったり、理不尽に感じる出来事が起きた時に自分がその出来事をなるべくポジティブに捉えるようになっているな。と感じています。

 

例えば

毎日疲れて帰ってきて、何もせずただ寝るだけの日々が続くと、だんだん余裕がなくなって、いつもなら流せるお客さんの横柄な態度にイライラしてしまう事があります。以前だったら、イライラして嫌な気分になって、モヤモヤしていましたが、今は自然と「あ、多分これは神様から与えられた試練だな」と思うようになったんです。

 

びっくりですよ。

神さまからの試練だと まさか自分が思うようになる日がくるなんて思ってもみなかったので。

 

ついこないだも

疲れが溜まっていてちゃんとした食事も食べない日々が続いていたので、たまには白米でも食べようと1合だけ炊いた日がありました。

私は みんなの分のご飯を朝炊いてしまったら、みんなが食べる頃にはご飯が硬くなってしまうと思って、意図的に一合だけ炊きましたが

 

母さんからすると

勿体無いからみんなの分の炊いて欲しかったようで、私が出かけるギリギリまで 小言を言っていました。きっとお母さんも疲れがピークだったのだと思います。

 

お母さんの言うことを間に受けて、イライラして 何か言葉を発しても何も良いことはないと思い、だったら黙ってた方がマシだなと思って、家を出るギリギリまでお母さんの小言をスルー。

 

でもお母さんが言ってくれた「行ってらっしゃい。気をつけてね」までスルーしてしまったんです。

 

バスの中で猛烈に反省しました。

なんで 「お母さんも気をつけて頑張ってね。」の一言が言えないんだ。情けない。こんな態度を取ってしまうなんて自分は本当にまだまだ未熟だ。そう思いました。もしこれが 神様が私に与えてくれたトレーニング期間であるとすれば、私の取った行動は間違いなくバツ。良い人になりたいと思っているくせに、お母さんへの思いやりに欠けた行動を取ってしまったと反省しました。

 

 

なんでこんな目に!

なんで私だけ!

 

こんなネガティブな感情を抱いた時、自分を守るために

 

「今はto be better personになるためのトレーニング期間なんだ。だから我慢しよう。少しの辛抱だ。」と自然と思うようになったのが大きな変化です。

 

 

きっとこれはピピの影響が大きいと思います。バイトで嫌なことがあってその話をピピと話すと、必ず「我慢してね。これはtemporary だよ。」と言います。何か不満に思うことがあってその話を共有したときも必ずピピは”sabar”(インドネシア語で 我慢 という意味) と言って私を諭してくれます。

 

sabarと言われた時は「もう十分我慢してるよ!」なんて思う未熟な私ですが、少し時間が経って冷静になると「確かにずっと続くわけではないし、我慢すればきっと良いことがある。これは人間性を良くするためのトレーニングだ」と思えます。自分に言い聞かせて落ち着かせているんでしょうね。

 

ピピも 常日頃からポジティブ思考を心がけているようで、何か不満に思うことが起きた時には私と同じく 「神様がこの道を与えてくれたんだから、今は我慢しよう。ワガママになってはいけない。this is the best way that allah(the god) gave to me」と思うように心がけているそうです。

 

そんなピピと関わっているから

私も自然と同じような考えを持つようになったのかもしれないですよね。でも私がくじけそうになったり、嫌な人になりかけている時、こうしていつも諭してくれて、ポジティブに考えられるようにしてくれる人がいることは本当に有難い事です。人生 前に進んでいくしかないですから! 私が困った時や辛い時、ピピからいつも良い影響を与えてもらって感謝しています。

 

 

 

私はまだイスラーム教に改宗してないのでムスリム ではありません。

でも、「神様が与えてくれた試練だ」となるべくポジティブに物事を捉えて、自分の未熟さを認め、直す努力をするようになりました。

 

それは、better personになりたいからです。

歳をとって何が残るかって人間性ですよね。

いくら綺麗に着飾っても、性格に問題アリじゃ愛される人になれません。

 

私が高校生の時から

いつも自分に言い聞かせている考え方は

 

外見の美しさはいつか無くなりますが

内面の美しさは歳をとっても残るということ。

 

 

いくら高そうなスーツを着ていても店員に横柄な態度を取るサラリーマンの方にはこれっぽっちも魅力を感じません。歳をとっても 偉そうな態度を取る高齢の方にも全く魅力を感じません。結局、性格が大切ということを日々(嫌という程)実感しています。

 

 

この考えを持ち続けて今までさまざまな困難を乗り越えてきたので、ピピの言うことやその背景にあるイスラーム の教えは割とすんなり私も受け入れることが出来たのかもしれません。むしろmake senceな考え方でした。

 

 

話が少し逸れますが、

以前 “改宗したい”と両親に話した時

「なんで今イスラーム 教徒になる必要があるの?良いと思った教えは自分の生活に取り入れればいいでしょう?お祈りだってしたいならすれば良い。」とお父さんに聞かれました。

 

これは私もずーっと抱いていた気持ちなのでお父さんの言っている意味が痛いほど分かると同時に、うまく答えられない自分がいました。私もまだ答えが見つかっていないからです。

 

なぜムスリム になるのか?

なぜ今なのか?

 

私も未だに日々悶々と考えたり葛藤しています。答えも見つかっていません。

 

ただ一つ言えることは、 正式にムスリムじゃなくても、イスラーム の教えを自分の生活に取り入れることが出来るということです。現に、イスラームの教えに今は助けられていることが多いです。

 

両親に改宗したいと思っている旨を伝えた時は正直ムスリムになる事ばかりにこだわっていたように思います。でも今はムスリムになるために、そして良い人になる練習期間だと思って、日々生活しています。

 

豚肉を食べず、お酒も飲まず、毎日お祈りをして...ムスリム としての義務を果たすことも大切かもしれませんが

 

Somehow, I cannot be Muslim yet coz my parents said they need more time to know about Islam. 

 

ムスリム になれないのであれば今の自分に出来ることとして、最もコアな部分である自分磨きをする事に専念しよう!と日々思っているし、そのための行動・努力をしています。

 

 

私にも分かりませんが、あの時、お母さんとお父さんが ムスリムになる事に一旦ストップをかけてくれたのもきっと神様が「まずは 未熟な部分を直しなさい。」というメッセージだと考えるようになり、ムスリム にまだなれない現実を素直に受け止めることができるようになりました。

 

 

ムスリム になるのと

後でムスリム になるのは何が違うの?

なんで反対なの?

 

ネガティブな考えを持ち始めると止まりません。だったらポジティブに考えた方が得ですよね。自分も楽になります。

 

 

自分が望むものを手に入れるには

努力が必要です。努力と我慢無しには何も得られないと言う事ですよね。

 

きっと、私が望むピピと結婚・生活や

日本語教師として働く夢も

努力と苦労なしには得られない。

 

私には宗教がまだ良く分かりません。

 

でも

思うように事が進まない時には

神様から与えられたミッションだと思うことで、目の前の壁を乗り越えるための力を持って物事をポジティブに捉え、前に進めるようにはなってきています。

 

 

イスラーム教、キリスト教、仏教、ヒンドゥ教、無宗教...とか 形にこだわる前に

 

自分の人間性を高めることに重きを置いていきたいです。

 

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長くなりましたが

今回はここまで。

 

Assalamalaikum 

 

日常〜part 5〜

Assalamalaikum アッサラームアライクム

 

前回のブログの続きを更新したかったのですが、なかなか自分の言いたいことを上手く文章にできなくて、更新できずにいます...すみません。

 

 

そんな中 先日ピピが誕生日を迎えたので、今回はその事について書こうと思います!

 

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↑これは去年のピピのお誕生日

この時ピピと私はまだ友達だったので、ピピの友達と一緒に食べ放題に行くだけのシンプルなお誕生日でした。でも良い思い出。

 

 

あれから1年。

 

ピピ本人はあまり特別に思っていない様子でしたが、私にとって30回目の誕生日は特別で、大切にしたい日でもありました。本人が特別だと感じてないからこそ、特別な日にしたい!そう思うのが周りの人の気持ちかもしれませんね。

 

 

昨年の誕生日からの1年間

沢山のことを共有してくれたので

一緒に振り返れたらいいかな?と思って

アルバム作成を数ヶ月からコツコツ作成。

 

アルバムを作るためにカメラロールを見返したり、コメントを書いていると、その時の記憶がわりと鮮明に蘇ってきて

 

「あ〜この1年間本当に沢山のことを共有してくれたんだな」と改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

大学を卒業してからよく思うのですが、楽しいことや嬉しいことは友達や家族とシェアする事はあっても、悩みや苦しみまで共有できる人って本当に限られてきますよね。

 

だからこそ、喜怒哀楽の全てを共有してくれる人の存在はとてもありがたいですし、一生大切にしていきたいものです。

 

 

そんなことを考えていたら

ピピに伝えたいことが溢れてきて

アルバムには書き切れなくなってしまったので、お手紙も書きました。

 

そして 日本の家族である私の家族からも一言ずつメッセージをもらって...

 

迎えた当日。

特別な日を台無しには出来ない!と朝から緊張してソワソワ。ギリギリまで どうやってプレゼントを渡すかイメトレもして...

 

いつもと違うことをするのが苦手なので

上手なサプライズは出来ませんでしたが

想いは伝わったかな?

 

一応インスタやネットで「誕生日 サプライズ」と検索していたのですが、どれもこれもきらびやかすぎたので断念しました。笑

 

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↑チョコレートケーキが良いと言っていたので、topsのケーキを買いました。お口に合ったようで良かったです。

 

 

でも何よりピピが一番嬉しいのは

やっぱり誕生日にお祈りをする事かな?と思って私も一緒にお祈りをしました。

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最後はピピの大好きなカルビをたらふく食べてもらいたくて、牛角の食べ放題にいきました!

今まで食べたカルビの中で一番美味しかった😋

 

店員さんがとても優しい方で

どのお肉が豚肉か前もって教えてくれました。masha allah 

 

 

誕生日って本人にとってはそれほど重要なものじゃないですが、周りの人にとってはやはり大切にしたい1日ですよね。

そんな日を一緒に過ごせてとても嬉しかったし、また来年も一緒にお祝いしたいと思います。inshaallah 

 

それでは 

assalamalaikum 

 

 

 

歩み寄る方法

Assalamalaikum アッサラームアライクム

 

今日は ブログのタイトルでもある

「歩み寄り」について私の個人的なお話をシェアしたいと思います。

 

 

今までのブログでは

いかにも私がイスラームに対する理解があるように思えたかもしれませんが、

それは私が共感したイスラームの考え方を重点的に紹介していただけで、まだまだ分からない部分、理解できない価値観などは沢山あります。

 

 

例えば

私は 同性カップルに対して賛成ですが

イスラームで同性愛は禁じられていますし、ムスリムとこの話をすると永遠に着地地点が見えないので、この話はしないと決めています。(以前ムスリム の友達と議論になった時には 疲労困憊でした)

 

 

個人的には

誰かを愛する気持ちに正しいも正しくないもないし、性別関係なく愛する人を見つけられたこと自体、喜ぶべきことだと思いますが

 

ムスリムの大多数の方は

子供を授かることができない=イスラームの後継者が少なくなるという考えがあるようで、同性愛には反対しています。

 

 

もちろん、パートナーであるピピが信じるもの・思考の根本的にあるイスラームへの理解を私が持ち合わせていれば良いのですが、

 

私もまだまだ未熟者なので

理解しようと努めていても 時々

 

「なんでいつも私がイスラームの教えや考え方に沿うの?あまりに一方的じゃない?」

 

と思うんです。

汚い感情ですよね、でもこんな感情を持つことだって正直あります。

 

でも凄く嫌なんです。自分が1ミリでもそういうネガティブな感情を抱いてしまうことが。

 

 

もともと育った環境の違う2人が

歩み寄ることを忘れたら上手くいくはずなんてない!

 

そう思うと、もっとピピの言葉の意味や行動を理解するために 私自身がイスラームに改宗するという選択肢が浮上してきたわけです。

 

というのも

 

イスラームの教えは

人生の生き方そのものなので

本や動画をみて頭で理解しようとしても

なかなか理解しきれないんです。

 

実際ムスリム として生きてみないと分からない事って沢山あると思うし、信じるものって1日で自分の物として受け入れる事はまず不可能で、時間をかけて理解していくものだと思います。

 

 

マレーシアに留学をして初めてイスラーム という宗教を知り、日本に帰ってからもそこまで関わりがなかった1年ほど前は、知識もなく関心も薄かったので、相手の言っていることが理解できなかった。マレーシアにいた時はそこまでイスラームを感じて生活していなかったんですよね。

 

だからご飯を手で食べる経験をしたり、断食月にはムスリム のクラスメイトに最低限気を遣って昼食を摂ったりはしていましたが、そこまで身近なものでもなかった。

 

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↑アラビックレストランに連れて行ってもらった時。みんな手で食べることに集中しすぎて会話をする余裕がなかった

 

 

今までイスラームへの改宗を強制されたことがないので、イスラーム は彼らのものであり、私のものではないと心のどこかで思っていました。

 

 

でも何かのご縁で日本でムスリムの人とより関わるようになり、大学でもイスラームの授業を受けてみたりして、 少しずつ身近なものになってきました。Alhamdulilah 

 

大学の図書館で様々な本を読んだり

自分でも本を買って読んだりして

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大学4年生の時なんて日本人の友達よりムスリムの友達と関わる方が断然多くなっていたかも。

 

彼らと一緒に時間を過ごす中で、彼らの態度や姿勢から イスラームとは何かを学ぶことが多く、私がなぜ?と疑問に思った時には イスラームの教えを説明してもらう。

 

それが一番気軽で分かりやすい勉強方法でした。

 

 

とはいえ、

何か問題があってそれについて話している時や

何か思い通りにならないことが起きて、なんでこんな目に遭うのか...と嘆きたくなる時に

 

「それはきっと神様が与えてくれた試練なんだよ」とか

 

「たしかにその決断を下したのは自分だけど、最終的に決めるのは僕たち人間じゃなくて神様だから」なんて言われた時には

 

「いやいや、何を言ってるの。どうしていくのかを決めるのは他の誰でもない自分でしょ!神様が決めるんじゃなくて、私たち自身の意思でしょ!」とよく反論したものです。

 

大学でイスラームに関する授業を履修したり

本を読んで理解を深めようとしていても

やっぱり よく分からないんですよね。

 

神様の存在を感じずに23年間生きてきた私にとって、彼らの言う”神”を感じないんです。根本的な概念が分からない。

 

 

もっと言えば、「彼らに神様はいるのかもしれないけど、私に神様はいない!居るのかもしれないけど、その存在を感じない!」とよく嘆いていました。

 

理解しようとしても、なかなか掴めない”神"の存在。当時は本当にモヤモヤする日々で 私はきっと一生神の存在を感じることはないんだろうな〜なんて思っていました。

 

 

そんな私が

実は、両親にムスリム になっても良いか?と聞いたことがあります。

ムスリム になろうと決意した背景には長い長い葛藤と過程があるので、次のブログで またシェアしたいと思います。

 

それではassalamalaikum