おばあちゃん
Assalamalaikum アッサラームアライクム
今日は幸いにも早朝バイトしかなかったので、おばあちゃんの家に行って、断捨離をしてきました。
というのも、来月の第1週目におばあちゃんの家が新しくなるので、今仮に住んでいるところをもうすぐ退去しなければいけないのですが、
1年もしないうちに物で溢れかえったおばあちゃんの部屋はどこから手をつけていいのか分からないほど。引っ越しが始まる前になんとか物を整理する必要があって、今回私がおばあちゃんに代わって断捨離を決行。
おばあちゃんは昔からなかなか物を捨てられず、買ってそのまま溜め込むので、家が物で溢れています。常に冷蔵庫がパンパンなのは 居酒屋を経営していた頃からずっと変わりません。
今日もどれだけ賞味期限切れのパン粉やら片栗粉やらを捨ててきたことか...
でも 毎朝3時頃に起きて
特に何もすることがなく、テレビを見たり料理をして過ごす日々...きっと寂しいですよね。その寂しさもあって 買い物がストレス発散だったようにも思えます。
おばあちゃんは私の家から自転車で10〜15分の所に住んでいるので、会おうと思えばいつでも会える距離にいます。でも近くにいるからという安心感があって、あまり会う機会を設けていませんでした。
そんな中、普段会いたくても家族に会えないピピをいつも近くで見ていた私は、会える距離にいるおばあちゃんになぜ会いに行かないのだ?とハッとしたわけです。
長居せずとも顔を出すことで
おばあちゃんはとても喜んでくれます。
その顔を見るのが私の幸せでもあるし、おばあちゃんが元気に毎日生活しているのを知れると私も安心です。
それを分かっていながら何かと理由をつけ行動に移していなかった自分を反省して、それからは出来る限りおばあちゃんの顔を見に行くようにしています。
完成間近のおばあちゃんの新しい家は、ものすごーく広いので、今よりもっと寂しくなるかな?と私はかなり心配。私だけでなく、娘であるお母さんも。
寂しさ故に 買い物の頻度が増すおばあちゃんが本当に心配なので、週に一度は掃除をしにいくついでにおばあちゃんを見守っていこうと決めました。私にできることはそれくらいですが、自分に出来る範囲でおばあちゃんを大切にしていきたい。
この写真はtake3
1回目は目を瞑ってしまい、2回目は斜め上を見てしまう、そんなおちゃめなおばあちゃんなのです👵
こないだふと読み返した『自己愛とエゴイズム』という本の中に、人生を港に例えた文章があって、単純明快で私は深く納得したし、迷うと必ず読む章があります。
『死に近くなりつつある人間の中では、家族と一緒に過ごした時間が長すぎたということで後悔する人はほとんどいないと思う。それどころか、錯覚的な出世と財産と名誉のために使いすぎた時間を削って、愛する人と一緒にいるためにもっとその時間を使えばよかった、という後悔と寂しさが奥深い所を流れるようである。それほど大切でない物事のために本当に大切である港を犠牲にするのではなかった、という感じがするだろう』
本当に大切なものは何か
それを知っている人というのは幸せですよね。
それでは
Assalamalaikum